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松井修三の
思ったこと、感じたこと

家を離れたくない

投稿日:2016年1月14日

幼い男の子3人の母であり、私とは家族ぐるみの付き合いが続いているオランダ在住のマリコさんから、昨年12月に手紙をもらった。


12月15日夜中1時半に同居していた義母が90歳で永眠し、19日がお葬式でした。

彼女はここ数年、自宅で訪問介護と「マントルゾルク(親族による介護)」生活を続けてきたのでした。補助器具なしで歩いたため、転倒することは何度もありましたが大事に至ることはありませんでした。

しかし、今年の6月末に転んだ際に上腕を骨折し、病院では手術を強く薦められたのですが、「家を離れたくない」という本人の強い意思に従い手術は受けなかったのです。

11月には血栓症を疑われましたが、折れた骨の一部が血流を邪魔していたようで、腕がむくみ始めました。専門医の再診を受け入院を薦められたのですが、本人の意思は変わらず、自宅での痛み緩和療法となりました。

腕の一部が壊死し始めたことも知らず、亡くなる前々日まで頭はしっかりとしていて、本人は死ぬことなども考えず、大好きな自宅で生活を送っていました。その間に受けた村の人たちによる手厚い介護サポートには感謝するのみです。


11月末頃から寝たきり状態が続くようになり、更に痛みが激しくなってきたので12月14日の晩からモルヒネ点滴を開始しました。そして15日の夜中、一人息子である主人に見守られ、安らかな表情で永久の眠りにつきました。

15分ほどで緊急隊員と夜勤の内科医師担当者が死亡確認、その後2時過ぎには葬儀会社の方々が洋服をきれいに着せてくださり、お棺に入れられました。

このあたりの風習に沿った方法ですべてを行いたいという主人の考えに、牧師さんをはじめ隣組の皆さんが快く協力してくださって、速やかに様々な準備が整いました。


葬儀の日には隣組の男性6人に担がれお棺は村の教会へ運ばれました。息子達3人は幼いので定期的にお願いしている子守のおばさんに託して自宅に残していきました。義理の娘である私が、子供達の分も兼ねて教会でロウソクをともしました。自宅にいた子守のおばさんは、教会ラジオを聴きながら子供達にいま何が行われているかを説明してくれたそうです。

教会での式後、霊柩車と関係の車は自宅前で1分間の黙とうをして隣村の墓場へと向かいました。

子守のおばさんが息子達を母屋の前の道端に待たせ、おばあちゃんへの最後の挨拶をさせるという、まるで映画のような別れの機会を与えて下さいました。子供達は精一杯手を振って、おばあちゃんに別れを告げていました。

最後に、その昔、義母がダンス教室に通っていたという村のカフェで会食がもたれたのですが、準備や接待は隣組の女性の皆さんがして下さり、あたたかな隣人の心に包まれながら、感動、感謝の葬儀を無事に終えることができました。

松井さんは大変心配してくださいましたが、私は、オランダのこの小さな名もなき村に嫁いできたことを本当に幸せに思っています。

  • 松井 修三プロフィール
  • 1939年神奈川県厚木市に生まれる。
  • 1961年中央大学法律学科卒。
  • 1972年マツミハウジング株式会社創業。
  • 「住いとは幸せの器である。住む人の幸せを心から願える者でなければ住い造りに携わってはならない」という信条のもとに、木造軸組による注文住宅造りに専念。
  • 2000年1月28日、朝日新聞「天声人語」に外断熱しかやらない工務店主として取り上げられた。
  • 現在マツミハウジング(株)相談役
    「いい家」をつくる会代表
  • 著書新「いい家」が欲しい。
    (創英社/三省堂書店)
    「涼温な家」
    (創英社/三省堂書店)

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