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第9回 着ぶくれ

 

 向田邦子の「父の詫び状」を読んでいたら、正月の家の寒さについてこんな描写があった。

父の詫び状
向田 邦子 (著)
文春文庫
価格: ¥476

 「お正月と聞いただけで溜息が出る。
子供の頃から、お正月は寒いもの、客が多くて気ぜわしいものと決まっていたからである。
別にお正月だけが特別に寒かったわけでもないのだろうが、余計なものを取り片づけた座敷は広々としていたし、暮のうちに取り替えた畳は足ざわりも固く青く光っていた。張り替えた障子は、古く黄ばんでケバ立ったのを見馴れた目には、殊更白く見え、床の間の千両や水仙まで冷たく見えた。
来客が見える時間には火鉢を入れるが、あとは重詰がいたまぬよう火の気を控えた部屋もあったから、余計寒く思ったのかもしれない。
日頃は厚手の下着やセーターで、ぼてぼてと着ぶくれていたのが、晴着を着るので薄着になるのがこたえたこともあるのだろう。」

 
この描写に同感を覚える年代は、いくつぐらいからなのだろう。
私は昼間、銀座で会った友人のことを思い出した。久しぶりに会った彼女は、見事なほどに着ぶくれしていたからだ。
 ホテルのラウンジで待ち合わせたのだか、ロビーを小走りにやってくる彼女を見つけた瞬間に、「ずいぶん太ったなー」とため息が出たほどに。

 友人はオーバーコートを脱ぎ、それから厚手の上着を脱いだ。その 下にはブラウス、その下にはハイネックの厚手のTシャツを着ていた。
私はそれを見て納得して言った。
「ごめんね。最初見かけた時、太ったーと思ったのだけど、着ぶくれしていたのね」
すると彼女は、私を見て驚いたように、
「あなたは随分と薄着ね。私はこのTシャツの下に肌着も着ているのよ」と言った。となると計5枚を重ね着していたことになる。
私は、コートの下に薄手のブラウスと下着の計3枚だった。
「私は、すっかり薄着に慣れてしまったの。半袖セーターで出かけることがほとんどよ。みんなびっくりしているわ」
「なぜそうなったの?」
彼女は不思議そうに私の顔を見た。
「今の家に暮らすようになってからなの。家の中は、不思議なほどにどこにも温度差が無くて暖かいの。以前の家と比べると、体が冷えなくなったという感じよ」
「そんなに暖かいの。私の家なんて昼間でも寒いわ。本当に寒くて体の芯まで冷えてしまう。かなり以前に怪我をした足は痛くなるし、風邪はよく引くし、最悪よ」
と、腹立たしげに彼女は言った。
「おかげさまで私は忙しくしていたけれど、今年も健康に過ごせたわ」
「いいわね。私は後半から体調を崩してつらかったわ」
「家の影響って、恐いわねー。私も以前は、あなたと会うたびに体調の不良を訴えていたっけ。でも、今は自分でも不思議なほど元気になれたわ」
「家って、確かにすごく影響するわね。うちは、古い木造の家だから、かび臭いし、シロアリも出たの。早くなんとかしたいわ」と、彼女はため息をついた。
「寒い家はつらい」ということを十分確認しあった頃に、熱いコーヒーが運ばれてきた。
「いつのまにか、こんな年より臭い話が似合う年齢になったようね」
彼女の言葉に笑い合いながら、私はそうして加齢を素直に認め合える関係を大事にしていきたいと思っていた。

 
東京の郊外にある私の実家は、7年前に建て替えたのだが実に寒い家で、昔の家と変わらないほどに冷え込む。正月に訪れると、両親はお互いに着ぶくれを競い合うようにしてこたつで丸まっていた。
心臓に問題がある二人にとっては、寒さはことの他こたえるようだった。そこで、思い切って松井さんに相談して断熱改修工事に踏み切ることにした。
隙間に対して実に無頓着に詰め込まれたグラスウールを撤去して、構造体の外側から板状の断熱材を張り付けるのだ。いわゆる「外断熱」である。
もちろん屋根も断熱をやり変えた。窓をすべて高性能な二重ガラスを装着したプラスチックサッシにし、段差を無くして、暗いところには天窓を取り付けた。木工事が終わった昨年の暮れに、私は両親と一緒に家の中に入ったのだが、三人は一斉に歓声をあげた。
 「ウワーッ、暖かい!」
暖房もしていないのに、冬になると当たり前になっていたあの寒さが消えて無くなっていたのだ。両親の顔は、子供のように明るく輝いた。
寒さの解消が二人に与えた影響に、私はすっかりうれしくなった。
「完成して住んでみれば、まだまだこんなものではないのよ。これまでは閉めておかなければ、寒くてしょうがなかったここの戸も、向こうのドアも、みんな開けたままにしておいても大丈夫なのよ」
私は、自分が住んでいる外断熱の家のありがたさを噛みしめながら得意気に説明していた。
当時、向田邦子がこんな家に暮らしていたとしたら、お正月の描写はどのように変わるのだろうかとふっと思ったりした。

 年明けて2日に、TBSで放送された「向田邦子の恋文」という番組を見た。
向田邦子は81年の夏に、航空機事故で亡くなった。その後20年以上もたってから妹さんの手によって、彼女の秘められた恋の話しが本となり世に出た。その原作をドラマ化したとものである。
私は半袖のTシャツ姿で、切なさに泣いていた。

2004年正月
久保田 紀子


 

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