第16回
小さなテレビ
一台のテレビが、ダイニングの雰囲気を変えた。
10年ほど前に景品で当たったテレビを、出窓のカウンターの上に置いていた。それは黒い色で、40センチ真四角ほどのブラウン管方式のものだった。
映りが悪くなったので、幅30センチほどの液晶テレビに買い換えた。フレームが淡いピンクで、おしゃれなデザインをしている。厚さが8分の1の5センチしかないだけに実にスマートだ。
「ウワーッ、すっきりした!」
妻は珍しく感動した。そして、あいたスペースにシクラメンの小鉢を置き、すっかりごきげんである。
ところが、そのテレビが最初に映し出したものは、スマトラ沖の大地震の惨状だった。小さな画面だけに、想像力をかきたてられた。
海洋プレートが大陸プレートの下側にもぐりこんでいく。そこに蓄えられたひずみの巨大なエネルギーが一挙にはじけたのだ。
日本列島でも陸側のプレートは無理やりに押され続けていて、ひずみがたまりつつあり、いつはじけてもおかしくない状態にあるそうだ。
私には、そのひずみが出す不気味な摩擦音が聞こえるような気がする時がある。
「ところで、あなたの車に避難用のグッズを揃えたの?」
「まだよ。忙しくてそれどころではないわ」
「すぐに揃えた方がいいよ。スニーカーと、ペットボトルの水、そして懐中電灯。それらをひとまとめにしたリュックサックだよ」
私は、これまでに同じことを何回言っただろうか。
揃えてやってもいいのだが、それでは防災意識が育たない。
「廊下には、物を置かない。高いところに物を上げない。枕元には懐中電灯を必ず置く。浴槽の水は、入れ替える時まで捨てないでおく」
それらのこともいい続けてきている。
しかし、馬の耳に念仏というあんばいで聞き入れてもらえない。
妻には、防災意識が欠落しているようだ。
「地震を心配しながら生きてられないわ。来たらそのときのことよ」
大地震はいつもかくも悲惨をもたらすのに、そしていま、現実にテレビがその痛ましい状況を映し出しているというのに、人はなぜか危機意識に疎い。
「そうはいかないのだよ。私はね、家づくりをしているんだよ。お客様の安全を保証する立場にいるのだ。私は、そして家族は、大地震の時に自分のことはできるだけ後回しにしなくてはならないのだ。
だから・・・」
そこまで言って、私は沈黙した。妻にとっては、長年にわたって耳にたこができるほど聞かされていることだと思ったからだ。
私は、祈った。
もしもの時の妻の安全と、被災し亡くなられた多くの方々のご冥福を。
2005年元旦
松井 修三
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