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第31回 復帰


設計士であるKさんが急遽入院したのは昨年の7月のことである。
設計部の中心的な存在の人であったから、知らせを聞いた松井さんは大変なショックを受けた様子だった。
「絶対にお客様に迷惑を掛けてはならない。不安や心配を与えてもならない」
松井さんの指示に社員がすばやく一丸となって呼応した。
容態が安定したとの知らせを聞いて病院へ見舞いに行った。
ベッドに横たわっているKさんの傍らに、奥さんが不安な表情で立っていた。
Kさんには、中学生を頭に3人の子供がいる。
松井さんは真っ先に力強くこう言った。
「あなたが回復して仕事に復帰できるまで、今の給料を保証します」と。
それから明るく語りかけた。
「お客様には私が直接話して、ピンチヒッターをたてることを了解していただいたから心配ないからね。神様が、しばらく休養をとりなさいと命じられたのだよ。だからありがたく体を休めることに専念しなさい。必ずよくなるから、あせらないこと」
見送りに出てきた奥さんに、松井さんは心に染み入るように話して聞かせた。
「心配顔をしてはいけません。夫が神様からお休みをいただいたことを素直に喜ぶのです。回復の過程で、Kさんのことだから必ず焦ってイライラするでしょう。そのときには、片目つむって、片耳塞いで、口を開いてはいけません。
奥さんの笑顔がすべてを良くするのですよ」

その後1ヶ月ほどで退院し、自宅でのリハビリが始まった。
効果が期待したように得られず、あせりを感じたときもあっただろうし、何よりも奥さんが大変だったと思う。
毎日、元気で働きに出ていた亭主が、突然毎日家にいるようになっただけでも。時々松井さんからの依頼で、買い物に出かけた折に電話で報告があるのだが、明るい内容ではなかった。
しかし5ヶ月を過ぎた頃から、Kさんは本人も驚くほどの勢いで回復の軌道に乗った。

そして入院してから9ヶ月あまりが過ぎた本日、復帰後、初の契約となった。
契約は、80才を過ぎたお母さんに立ち会っていただくので、お客様のご自宅で行われた。ご縁は、お母さんが私の本を読んで、体感ハウスを訪ねてきてくださったことに始まる。松井さんが一番大事とする“人と人との相性”がすばらしいご一家だ。
奥様が、桜の香りがする紅茶とケーキをごちそうしてくださった。あまりのおいしさに店を尋ねたところ、すぐ近くにあるとのこと。

さくら 八重桜が満開の歩道に出ると、「マリナ・ド・ブルボン」というその店はすぐに分かった。
店内は50種類もあるという紅茶の葉の香りに満ちていた。
松井さんは、Kさんの家族にお祝いを贈りたいと言った。私は、奥さんと子供たちが「お父さん、契約おめでとう!」と言うシーンを思い浮かべながら品物を選んだ。
店を出てきて、「ねえ、久保田さん。私は本当にうれしいのですよ。Kさんと家族と、社員たちと、そしてね、ご契約をしてくださったさんご一家に感謝しているのです。
必ず、かならず、みんなで力を合わせて“いい家”をつくりますよ」
そう話す松井さんの笑顔は、満開の八重桜を背景に明るく輝いていた。

2006年4月19日
久保田 紀子


 

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