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第38回 おふくろの味

母は明治の終わりの年、すなわち明治45年の生まれで、今年94才になった。
背は丸くなり、動きはだいぶスローになったが、子供や孫たちに元気を与えてくれる笑顔の素晴らしさに衰えはない。
明治43年生まれの父は、私がもの心がついた頃から小原庄助さんだった。ご承知のように庄助さんは、お酒が大好きで、朝昼晩と飲み続けて、「そーれで身上つーぶした」と歌われているのだが、父も同じようであった。
母はいつも旬の肴を用意しなければならず、毎晩、最上の刺身が必要だった。
ある夏の日のことだ。ぶっかき氷の上にガラスのすのこ棒を乗せて、その上においしそうに刺身が盛られていた。
いつものようにお腹をすかせた3人の子供たちはテーブルの定位置に座って、母と共に父の話を聞いていた。父が一通り飲み終わって、食事に入るまでわれわれは何も食べることができないからだ。
母 「この刺身はおいしい!」
父は大変満足そうに言った。そして母に向かって「お前も食べてごらん」と勧めた。
何にでも控えめな母は遠慮した。
「いいからお食べ!」
母は、笑みをたたえながらさらに遠慮した。
その一瞬後だった。テーブルがひっくり返されたのは。
「そんなに勧められても食べたくないものを亭主に食べさせていたのか!」
当時、「理不尽」という言葉を知っていたら、この一瞬の出来事のために用いられるものだと思ったことだろう。
でも母は、陰湿にはならなかった。それから数分後には、何もなかったかのようにして、われわれを手伝わせて明るく食事を準備した。

父がいない夜の食事もあった。
母は、私に向かって何を食べたいかと尋ねるのだった。
私は「シンヤキ」を求めたことを思い出す。
それは茄子を縦切りにして、油を引いたフライパンでいためるのだ。 それを母は「シンヤキ」と言っていた。
ただそれだけの料理なのだが、焼き上がって、生姜をのせ、醤油をかけて、母と3人の子供たちはフーフーと息を吹きかけつつ食べるのだが、その瞬間に私は涙をこらえることがよくあった。
美意識の強い明治生まれの男には、敗戦のショックから立ち直るのにかなりの時を必要としたようだった。でも、その父に学ぶことがたくさんあった。
私は家造りに携わるようになったときに、「住まいとは、幸せの器である。住む人の幸せを心から願えるものでなければ住まい造りに携わってはならない」という信条を掲げた。
住まいが幸せの器であって欲しい!という切なる願いは、おふくろの味を思い出すたびに強まっていく。

・・・

(この原稿は、豊かな生き方を探す生活情報誌「ありか」(編集・発行パラド出版事業部)の求めで書いたものです。その2006年8月号からの転載です)

2006年8月31日
松井 修三


 

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