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第43回 現場まわり

 久保田さんと現場周りをするといろいろなメリットがある。
一つは、運転をしてもらえること。
二つは、異なる感受性(お客様の立場)で現場を見てもらえること。
三つは、朗読だ。
お互いが気に入った本の一部を朗読して聞かせ合う。
今日は私が聞かせた。
「久保田さんの長男は17歳ですよね。こんなタイトルの本を読んだのですよ」
17歳のための世界と日本の見方」松岡正剛著(春秋社) 私は「17歳のための世界と日本の見方」松岡正剛著(春秋社)を見せた。
「この本を買うのにずいぶんためらいを覚えたのですよ。だって、17歳のためという年齢制限が付けられているのですからね」
「確かにそうでしょうね。私だってためらいますわ」と久保田さんは同調してくれた。
「しかし、読んでよかったです。読まなかったら大損してしまうところでした」
「松岡さんって、どういう人なのですか?」
「1944年に京都に生まれた人で、編集工学研究所の所長さんだそうです」
「編集工学って、どんなものなのですか?」
「一言で言うと、新しい関係を発見していくということだそうです。
説明しているよりも、この一説を読んでみましょう。

 <キリストというのは救世主という意味ですから、もともとそれがイエスのことを特定していたとはかぎりません。ところがイエスの死後、「キリスト=イエス」であるということ、しかもなんとイエスは死んでから三日後に蘇ったのだということが、パウロによって明確に強調されていくことになるのです。パウロの驚くべき宗教編集術が発揮されたんですね。パウロがどのようにキリスト教というものを編集していったのかというと、ユダヤ教ではあくまで神の言葉である「律法」を重視していたのを、パウロは、神の子であるイエス・キリストの教えを守ることこそが神への道であるとしました。その根拠として、イエスはすべての人々の罪を贖うために十字架で死んだということ、しかも三日目に復活したということ、それは父なる神がイエスの贖罪を正しいありかたとして認めた証拠などだということ、こういうことを次々にあげたんです。
そしてだからこそ、イエスを信仰することによって、誰もが罪や苦しみから解放されるのだと説いた。このロジックが非常に人々の共感を得ました。大ヒットした。>


「そうですか。松井さんがパウロのようなお弟子さんを持たれたらすごいことになりそうですね」久保田さんはいたずらっぽく微笑んで見せた。
「ということは、断熱論争の結果私が磔となる、ということですかね」
二人は大笑いした。

「久保田さんは、利休と織部との違いが分かりますか?」
「たしか学校では学んだと思うのですが、今思い出して言えることは、織部は利休のお弟子さんではあるが、利休とはだいぶ違った道を歩んでいった。でも、利休が秀吉から切腹させられたと同じに、織部も家康に切腹させられた、まあこの程度です」
「松岡さんの本が面白いのは、その違いを『ルネッサンスの利休』と『バロックの織部』として説明するところです。正に、世界の見方と日本の見方をクロスさせることで、読者を「なるほどね」と感心させるのです。
ここのところを読んでみます。

 <利休のつくった竹の花入れは今も残っていますが、そういうものを竹一重切花入 見れば、利休が只者ではなかったということがわかります。一本の竹の、そのまた一節を刀で切り出す。ただそれだけのものが、400年近い年月を経ても、人々の気持ちを深くつかむんですね。竹を選び出す眼、竹を一刀両断にする決断力、そういうものには、おそらく当時の武士たちもかなわないと思ったんでしょうね。この利休を茶の指南役として登用したのが、信長と秀吉でした。
信長は「茶湯御政道」といって、家臣たちを統括するために茶の湯を利用したんです。戦争でがんばった家臣に対して、「名物狩り」で大名たちから取り上げた茶道具を褒賞として与えたり、茶の湯をやってもいいという許可を与えたりしました。秀吉も信長から茶の湯を許されて大喜びをしたという記録が残っています。
秀吉自身も政治と同じくらい茶の湯の効果を重視しています。かなり本気でのめりこんでいたようです。利休のことを家臣としてではなく、茶の湯の師匠として尊敬していた。ただし、利休の茶の湯の深さを本当に理解していたかどうかというと、ちょっと怪しいところもありました。
有名なエピソードがあって、あるとき利休が秀吉を朝の茶会に招待します。「庭の朝顔がいっぱい咲いております、どうぞ朝顔をご覧においでください」、というようなことを書状で送りました。秀吉がそれはさぞきれいだろうという気持ちで利休の茶室を訪ねると、庭の朝顔の花がことごとくちょんぎられている。だいだい武士にとっては花の首を全部切るなんて、あまりに不吉なことですから、秀吉は怒りまくってどかどかと茶室に入っていくと、なんと、ほのぐらい床の間にたった一輪だけ、それはそれは見事に朝顔が生けられていた。そんな話です。
このようなことがおそらく何度もあったんでしょう。一国の天下を治めた秀吉が、一介の茶人である利休に頭が上がらない、翻弄されてしまう。秀吉はだんだん利休を憎みはじめ、とうとう利休を切腹させてしまいます。>


「秀吉は、利休に嫉妬したのですね」
「そのとおりだと思います。松岡さんは利休の茶は正円の世界だと言うのです。茶の湯の精神という一つの焦点だけを極めていったものだと。織部のほうは、ゆがみやひずみをもった楕円の世界だと松岡さんは言います。まさに「バロッコ」(ゆがんだ真珠)なのだと。
利休が求め続けたものは、豪奢やおごり、傲慢といったものを嫌い、一切の妥協を許さず侘びに徹した精神世界。それは、俗物の象徴である秀吉とはまったく異次元の世界でした。
対極にいる二人が、ある朝の茶席で向かい合う。茶席という小宇宙の中心に飾られた一輪の朝顔を介して交わされる情念のやりとりは、白刃を切り結ぶよりも恐ろしさを感じます」
「女では絶対にかもし出せない緊迫感ですね。狭い茶室で、時の絶対的な権力者と向かい合って、いささかも手元に狂いを生じないでお茶を立てる利休の姿を想像すると鳥肌が立ちます」

茶の湯 <利休も織部も、茶の湯によって新しい価値観を世の中に登場させ、それによって天下一を極めました。けれどもそれは命がけの生きかたでもあったというべきです。
それにしても職人や茶人が、権力者を恐れさすほどに新しい価値観を持ち出し、そのことによって命を失うこともあったなんて、たいへんなことですね。それほどにこのころの文化というものは、政治や経済を震撼させるほどの力を持っていたわけです。>


「そこにいくと、外断熱、内断熱の対立などは温泉につかって鼻歌を歌いあっているようなものでしょうか。主張が間違っていても切腹させられることはないですものね。
私は想像するのですが、織田信長の前に出て、西方里見さん(「外断熱が危ない!」の著者)と論争を求められたらどうなるのかと。信長の判断一つで、場合によっては切腹させられるかもしれないのです。人様の一生の幸せを左右する家造り、その急所である断熱の方法を誤ったら切腹も仕方がないですよね。
さあ、信長が聞くのです。
『おぬしらは、どちらの方法が正しいというのか!』と。そこで理屈を捏ね回し、うだうだ言っていると信長はそれをさえぎり、
『おぬしらに聞く。内部結露や雨漏りで家が腐ったとした場合、何年間無料修繕を約束するのか?』と問いただす。
私はためらいもなく50年と答える。西方さんは『法の定めるところに従い10年間でございます』と答える。
すると信長の眉間に縦じわがよる。
『不心得者めが。法の定めとは最低の基準じゃあ。それに甘えて臆面もなく10年とは情けなや。10年しか保証できないのであれば、それは方法そのものに間違いがあるというものよ。これからは外断熱に決めたわ』
見事な捌きです」
久保田さんは大笑いした。
「ところで久保田さん。松岡さんはこんなことも書かれていますよ。

 <これはとても大事な歴史的事実なので、よく覚えておいてほしいのですが、人間の歴史は古代このかた長いあいだ、本を読むときは声を出していたんです。つまり本は音読しかできなかったんです。みんな文字を読みながら声を出していた。ぶつぶつ言いながら本を読んでいた。それがグーテンベルクの活版印刷以降、だんだん黙って本を読むようになったんです。これは文字から声がなくなっていったということをあらわします。それによって読書のスピードは格段に上がりました。しかし他方、古代以来の「声の文化」がしだいに薄れ、かっての語り部の頭の中にあった劇的なものと違った読み方の社会が生まれていったわけです。だから私は、みなさんが一ヶ月か三ヶ月に一度くらいは音読して本を読むことをお勧めします。>と。

たしかに、いい本は音読したくなりますよね。
住宅本の中で音読したくなる本がありますか?」
各現場とも、工事は順調に捗っていた。

 

2007年7月11日
松井 修三

 

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