No.2

約束の8時に、荒川さんがホテルのロビーに入って来た。松井さんとは10年ぶりの再会だということでお互いに喜び合っていた。
荒川さんは、1991年に松井さんにクレダを紹介した人だ。当時、荒川さんはクレダの販売を担当していた。ロンドンにも住宅を持ち、日本ではマンションに暮らしていて、どちらの家でもクレダを使用しているとのこと。お嬢さんはロンドン大学を卒業し、イギリス人と結婚されて一児の母だそうだ。
スペインに用事があったのだが、私たちのために予定をやりくりして2日間に渡り同行してくれることになっている。
訪問を予定しているアプライド・エネジー社とも親交があるとのこと。
地下鉄のストライキで到着が遅れているアプライド・エネジー社のアンドリュウさんを待つ間、ロビーで紅茶を飲みながらイギリスの風土、文化、生活スタイルなどについての話を聞いた。荒川さんは、イギリスに詳しくて話がとっても面白い。

「ロンドンに来てまず目につくのはレンガ造りの家が圧倒的に多いことでしょう。そのわけなのですが、今から340年前の1666年にロンドンは歴史上で最悪の大火に見舞われたのでした。当時はほとんどが木造家屋だったため、パン屋の失火から広がった火災は、またたくまにロン ドンの大半を焼き尽くしてしまったのです。この火災からの教訓で、時の政府は木造家屋の建築を全面禁止とし、新しい建物はすべてレンガ造りとすることを定め今日に至っています。余談ですが、海上保険専門だったロイド保険会社が世界初の火災保険を売り出したのもこの頃でした。
そのような歴史的背景の中で、英国ではレンガ造りの住宅が300年以上も前から住宅文化として継承されるようになっています。そして、膨大なレンガの需要をまかなうため全国に多くの窯業者が現れることになりました。幸いなことに、英国には粘土質土壌の場所が多く、なかでもストーク・オン・トレントには良質の粘土が産出することから多くの窯業者が集まって来ました。18世紀に入り、ウェッジウッド、スポード、ミントンなどの陶芸家が牛の骨の粉末を混ぜた“ボンチャイナ”を開発してからは陶磁器の町は急速に発展を遂げ、それぞれが世界ブランドとなり今日に至っているのですよ」

やがて、マイク・アンドリュウさんがやってきた。スマートでハンサムで、笑顔と青い目がすてきな人だった。自己紹介をし合ってすぐに我々はタクシーに乗ってビルディングセンターへと向かった。
タクシーは手を挙げ止め、助手席から首を突っ込んで行き先を運転手に伝える。承知されれば、後方ドアーを自分で開けて乗り込む。3対2で向い合って座る。前の2席は座る前に自分で椅子を倒してセットしなければならない。
道路事情か、車の性能か、とにかくよく揺れる。そのために赤い手摺りがあちこちに付いている。乗り心地はいいとは言えないがうまい具合に工夫されていて車内も広い。そして、車椅子に乗ったまま乗車できるタイプが多い。支払いは降車してから助手席の窓より行う。ロンドン滞在中は私がタクシー係を仰せつかることになった。ブラック・キャブと呼ばれる黒塗りのタクシーは、ほとんどが個人営業で、運転手になるには厳しい試験があり、ロンドンの地図が全て頭に入っていないと合格することはできないという。だから、行き先を告げると交通事情を勘案して最短距離を選んで走ってくれる。世界の都市を走っているタクシードライバーの中で、最も信頼できるプロ中のプロだそうだ。

ビルディングセンターというのは、ロンドンの中心街、トッテナム交差点の近くにあり、住宅に関するショールームのようなところだった。イギリスの建設業界のショーウィンドウ的な役割を果し、最新の建材や工法、設備機器などを豊富に陳列していた。
そこで責任者であるギブソンさんと会談した。堂々たる風貌の紳士で、早速社長と住宅全般について意見交換がなされた。ロンドンはいま大変な住宅ブームで、住宅の値段はうなぎ上りの状態だという。その原因は、新築する場所が少ない、ローンが借り易い、家を持つ志向がことさら強い国民性のためのようだ。
その後、展示ブースを案内される。Xpelairの換気扇、Redringの電気式湯沸器などにまじってクレダが展示されていた。
カナダのスーパーE工法の構造模型が展示されていた。
松井さんはそれを見ながらこのように説明してくれた。
「先ほどのギブソンさんの話では、スウェーデンやドイツなどでは高気密・高断熱住宅は一般化しているにも関わらず、イギリスにおいてはまだそうではないとのこと。イタリア人は隙間風を悪魔の風として嫌うが、イギリス人は無頓着である。しかし、近年できた省エネ法に基づいて、住宅における省エネ化が始まろうとしている。そこに目をつけたカナダは、日本ですでに展開しているようにイギリスにも進出を図ろうとしているようだ」と。

昼食後、ビルディングセンターを後にしてアプライド・エネジーの社員二人と我々は、ウェストミンスター地区で建設中のペントハウスの現場を見学した。ちょうど外壁の煉瓦を施工しているところで、コンクリートの構造体から10センチぐらい離してレンガを積み上げていた。その隙間にグラスウール断熱材を吹き込みで詰めると説明を受けた。外断熱工法である。しかしコンクリートと煉瓦は所々で細い金具で結び合わされているだけであって、地震がきたらひとたまりもなく崩れてしまいそうに思えた。
私は心配になって松井さんに聞いてみたのだが、「地震の心配をしなくてもよいからできるやり方ですね。レンガの積み方は縦筋は入っていないし、日本では許可されないでしょう」とのことだった。
そのペントハウスにクレダが全戸(約120戸)に標準装備されるとのことだった。最近の日本のマンションの発売チラシを見ていると床暖房を自慢しているものが多いようだが、私だったらクレダを装備した方を買うだろうと思った。もっとも、外断熱ではないコンクリート建物ではクレダの良さは発揮されないだろう。
ホテルに戻ってから、ロビーで荒川さんの話を聞いた。

イギリスの一般的な暖房は、自然対流と輻射によるものがほとんどで、温風による強制対流方式はごく少数派である。温風式のセントラルヒーティングは、1960年代にモダンヒーティングとして一時脚光を浴びたが、温風の不快感はいかんともし難く、今ではほとんど使われていない。床暖房も一時流行そうな兆しがあったが、設備工事とメンテナンスが厄介だということで普及しなかった。もともと、床暖房は北方アジアに代表されるオンドルの考え方であり、床に座る生活習慣の無いイギリスやヨーロッパでは普及することはなさそうだ。
最近日本では、マンションに床暖房を施設するケースが増えてきているが、設備よりも外断熱工法のように、構造体そのものの性能を向上させる試みにもっと関心を持つべきである。
自然対流か、輻射による暖房の快適さを知った人にとっては、床暖房は魅力がなくなるだろう。また、エアコンの性能が向上し、省エネ率の高い機種が出回ってきているが、輻射暖房の快適さとは比較にならない。イギリスで自然対流と輻射による暖房が主流になっているのは、その快適さ故に支持されていることは間違いないが、それは、昔はどこの家にもあった暖炉の火に対するノスタルジアでもある。薪や石炭の火が発するおだやかな輻射熱と、暖炉の周りの熱が生み出すやわらかな自然対流の空気が、癒しの時空を創出してくれることをイギリス人はよく知っている。
現在のイギリスの家の多くには、ヒーターのパネルが設置されている。そのパネルには、電気、ガス、石油などを用いるボイラーから供給されるお湯が循環している。いわゆるウエットシステムと呼ばれるものなのだが、システムが複雑なことと、メンテが必要で、設備費も高いのが問題とされている。
それに反して、夜間電力を利用するクレダのような蓄熱式の暖房は、ドライシステムと呼ばれて、システムが簡単でメンテがほとんど不要であり、設備費も安上がりなので今後ますます普及が見込まれているとのことだ。
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