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  【 ご案内所長のひとり言|クレダの旅 】
 

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No.8

2002年10月2日


ウッドフォードバレー

 今日は、あの巨石で有名なストーンヘンジを見に行くことになった。
 列車がソールズベリ駅に近付くと、ソールズベリ大聖堂の天を突くような尖塔が目に入った。駅前広場でつかまえたタクシーの運転手の名前はゴードンさんといって、とても感じが良くてフレンドリーな人だった。
 松井さんが、「私は日本で、家造りをしているものです。できれば、途中いろいろな家を見せて欲しい。特に建築中や改築している現場を案内してくれたらありがたい」と交渉した。するとゴードンさん「お安いご用です」とばかりに見応えのある素敵な村を、三ヶ所も案内してくれた。
 それらの村の名は、ウッドフォードバレーといい、実に美しいところだった。
 町の中を抜けてから30分ほど走ると、スネーク・ロウドと言われるクネクネ道が続いて、緩やかな丘を下っていった。 両側を木に覆われた狭い道をしばらく走る。その木が途絶えると日本の土塀によく似た壁が現れ、そこから点在する家々が、実に個性的でファンタスティックな姿のものばかりであった。薄いレンガで葺いた屋根に、壁がモルタル塗りの家もいい雰囲気を出していた。自然と溶け合って、まるで家が木や花と仲間のように見えるのだ。
石 造りの壁に、レンガで模様を入れた家、優雅な曲線を描く茅葺き屋根の家などすてきな家を見つけては、タクシーを降りては乗り、乗っては降りを繰り返した。同じ形に見えても、それぞれレンガの模様が違っていたりして、どれもゆうに100年以上は経っていて絵になるようなものばかりだった。壁に蔦を絡めて、その葉が紅く色付いている家もある。エイヴォン川の支流なのか、床下を川が流れている家もあってびっくりした。庭にはチャボのような鳥が数匹放し飼いにしてあり、実にのどかな雰囲気であった。

100年住宅

 私はあちこちで立ち止まり、うっとりし続けていた。
 「まるで、家が風景を引き立てている絵を眺めているよう!」
 私の感嘆に松井さんも、
 「その通りですね。家を建てるときに、風景を引き立たせるようにデザインしたとしか思えませんね」と同じように感嘆していた。

 私はふっとわが家の周辺を思い出した。
 私が住んでいるところは、都市基盤整備公団によって区画整理された。土地の所有者は建築法規に適合した建物であれば、種類、デザイン問わず好きなように建てて構わないことになっている。そのために、区画整理が終わって5年も経たないというのに、色と形が様々な住宅とアパートが混在し、すぐ近くには派手な外観をしたレストランや店舗が建ち並ぶようになってしまった。
 だれもが自分の家は長持ちすると思い、デザインも気に入っていることだろう。しかし、そこには「風景と調和するデザイン」をするというコンセンサスは皆無である。だから家々が風景を引き立たせることはない。

 最近のわが国の家づくりは、「100年住宅」を標榜するものが目立つようになってきている。しかし、見飽きてしまった風景が長期にわたって存在し続けるとしたら、そこに住み続けたいと思えるだろうか?
メーカーは、車と同じ感覚でデザインと主張を変える。やれスペイン風だの、イタリア風だの、アメリカ風だのとファッションのように変えながら販売している。それらを気に入った人は、周囲との調和に対して一切お構いなく、自分の好みと価値観を最優先して建ててしまう。
 家々が愛着を深めつつ長命となるためには、耐震性や省エネ性などの物理的な要因を追求するだけではなくて、100年経ったらなお大事にされるような風景の企画をまず先に行う必要がある。
 歴史と伝統を誇りとするイギリス人の心の中には、自分の好みや都合よりも、「風景と調和するデザイン」を大切にするというコンセンサスが自然と出来上がっているようだ。私は目の前に広がる風景を眺めながら、そのような意識を持つことの大事さを厳しく教えられた。
 2年後、私は再びコッツウオルズを訪ねたのだが、そのとき個々の建物だけではなく、「一帯の風景」を保護しているナショナル・トラストの活動を知って感動した。(平成16年12月に、わが国では景観法が施行された)

 空気はヒンヤリとして、湿気を含んで重い感じがした。冬の訪れが近いことを感じ、雪の降った景色も素敵だろうなと想像した。
 時おり車が通るだけで、人の気配がほとんどしなかった。何やら食品だろうか、車で宅配している人がいたので、間違いなく家の中には暮らしている人がいるのだろうが、あまりに静かで私たちの歓談する声だけが聞こえていた。

クレダの営業マン

 ラッキーなことに、茅葺き屋根の葺き替え現場と、増築工事中の現場を見学できた。平屋の母屋に6坪ほどを建て増ししていたのだが、びっくりしたことは、その家の主人が一人で仕事の合間を縫って工事を続けているということだった。
 増築中の外側の壁の構成は、まず内側に10センチ厚のブロックを積む。10センチの隙間を空けて、外側に10センチ厚のレンガを積む。そして、3センチ厚の板状の断熱材をブロックに貼り付けていた。50才代の主人は気難しそうな顔をしていたが、突然訪ねてきた日本の工務店主の質問に答えてくれた。
  「断熱材については迷いました。一般的にはグラスウールを挟むけれど、私はスタイロフォームを使うことにした。3センチの厚さで、グラスウール10センチの性能に匹敵するし、私の腕前では雨漏りするかもしれないからね」と。
母屋は100年ほど前に建てられたもので、主人は3代目の住人とのこと。母屋は無断熱であるという。それでも暖炉があるから寒くはないが、増築する部屋には暖気が届かないので壁はもちろん屋根にも断熱材をしっかり入れるのだとのこと。
 松井さんは今回の旅行の目的を説明し、クレダという暖房機について話し始めた。すると主人は、
「私はクレダをすでに発注してある」と答えた。
そこで初めて主人は笑顔を見せて、松井さんと握手した。

 しばらく走ってからゴードンさんが指さして教えてくれたのは、スティング(大人気のロック歌手)の別宅だった。広大な敷地の奥の方に大きな館が見えた。そこから数マイル先にはマドンナの別宅があるそうだ。休日に釣りを楽しみに来るとのこと。また、ロンドンに住んでいる人たちが農家の暮らしを味わいたくて、週末を過ごすための別宅も多いとのことだった。
ふと見ると一軒の家のチムニーから煙りが出ている。
 「煤煙規制で暖炉は使えないのではないですか?」と、松井さんがゴードンさんに尋ねた。
 「いやぁ、この辺りではみんながまだ使っているよ」との答えだった。暖炉暖房がほとんどだそうである。すると松井さんは、まるで営業マンであるかのようにクレダの宣伝を始めた。私は思わず吹き出しそうになってしまった。

ストーンヘンジ

 私たちは2時間近く、村々を見学した。今にも雨が降りそうに厚くたれこめた雲が気になっていたので、ストーンヘッジへと急ぐことにした。車はハイウェイに入ったかと思う間もなく荒涼とした草原地帯を突っ走っていく。
 20分ほど走った頃に、草原の真っ只中にあの奇妙な巨石群が見え始めた。
 「えっ、こんなところにあるんだ!」
それが第一印象であった。そして遠めに見たせいか、想像していたよりは巨石の群れは小さく見えた。

 巨石は、地平線が見えるような広大な丘の上に立っていた。紀元前3100年頃から4200年もの長い期間にわたって、5段階の工程を経て建設されたそうである。そしてそれらの巨石はなんと約300キロも離れたところからわざわざ運んできたという。
 何のために、誰のために・・・。
 それはあまりにもミステリアスだ。       
 冬を思わせる冷たい風が吹いて、時折霧雨が頬をぬらしていた。私たちは、巨石の群れを取り囲むようにして離れたところからそれぞれの思いで眺めていた。
 石の合間に松井さんの姿があったのだけれど、あれだけせっかちに見歩く人が石のようにじっと佇んだまま動かないでいた。

 それらの巨石は、宗教儀式に用いられたとする説が一般的だそうだが、何のためにそこに存在するのか、その真実は誰にもわからないという。
 帰り道で松井さんが、「あの巨石を眺めていると、ずっと昔の人々の“何かをつくる”という情念のすごさを感じるなー。その情念が、こうして3000年以上の間、世界の隅々から観光客を呼び寄せて止まないのだろうか」と感激した口調で言った。
 しかし、私は違った印象を受けていた。
 おそらく当時だって女性たちは、いつも生活の心配をしなければならなかったはずだ。女性たちにしてみれば、毎日のように巨石を引きずり回し、意味不明な途方もないロマンを描き続ける男たちをどんな想いで見つめていたのだろうか。
 「もう。いいかげんにしたらどうなの」
 そんな会話が草原の向こうから風に乗って聞こえてくるような気がしたのだった。

ソールズベリー

 ストーンヘンジを後にして、ソールズベリの町中に戻ってきた。大聖堂の前でゴードンさんと別れる。彼は右手で拳を作り、親指を立てて、顔のあたりで突き出すと、さわやかな笑顔で去っていった。
 お昼を過ぎていたが、先にソールズベリ大聖堂を見学する。1220年から1258年に建てられたゴシック調の建物で、イギリスで一番という120メートルもの高さを誇っている。その尖塔は後から付け加えられたそうだ。
尖塔を振り返り振り返りしながら建物から離れていくと、実におもしろい。尖塔がぐんぐん、ぐんぐんと高くなっていくように見えるのだ。南西から眺めた大聖堂も見事なまでに美しかった。
 建立以来750年間、毎日2〜3回の礼拝が行われているという。中に入ると、パイプオルガンの幻想的な音がゆるやかに響いていた。
 中庭の回廊の柱の間から眺める尖塔の姿も絵にしたくなるほどに美しい。そこにあった立派な枝振りのレバノン杉は、1837年ヴィクトリア女王の即位を記念して植えられたそうだ。ゴッホの描く木々のように幹も枝も葉もうねっていた。見上げる大聖堂の尖塔には薄日が当たり、その高さがさらに強調されて見えるようだった。

 大聖堂の建築模型の展示を見た。尖塔の骨組みは木材で、傘の骨を逆さにしたようなものを組み合わせてできている。すごい知恵だと感心させられた。
 作業に従事した人々の生活風景も模型になっていた。片隅にお墓があった。現場で事故や病気で息絶えた人が大勢いたことだろう。

 ソールズベリの町中にはチューダー様式の家が多い。建物がどう見ても歪んでいたりする。不安定でいながら、安らぎを与えてくれる不思議な建物たちだ。
 町の中にエイヴォン川が流れ小さな橋がいくつもある。
川には魚がたくさん泳ぎ、あひるたちもいる。のどかで、静かで、美しい町だった。
 帰りの列車の中で目を閉じると、それまでに見歩いてきた様々な風景が浮かんできた。実に思い出深い旅だった。中でも、カンタベリー大聖堂で流した涙の思い出は生涯消えることはないだろう。


終わりに

 このところ、超寒波の来襲で日本海沿いでは記録的な大雪が続いており、私が住んでいる神奈川県の中央辺りでも 朝はマイナス温度が連続している。
 今朝6時35分の外気温はマイナス3.8度、台所の室温は18.8度だった。
 私は、薄い夏用のパジャマで朝ごはんの支度をした。
 起きてきた娘と息子は、いつものように素足のままである。
 松井さんは家の引渡しのときにこんなことを言われた。
 「暖房の質にも松竹梅があるのですよ。ただ暖かいは梅です。この家の暖房は松の快適さですが、久保田さんがそうであることを実感するのは何シーズン目の冬になるでしょうか」
 今年で4シーズン目の冬を迎えて、私はクレダによる暖房の快適さに魅せられていくばかりである。

2005年12月16日
久保田 紀子


 
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