No.3
3月当初、小学6年生の息子が8日間ばかり入院とあいなりました。退院したその日、彼は家の玄関に入るやいなや言ったのです。
「うわぁ、木のにおいがするよ!」
そして自分の部屋に入っても鼻をくんくんさせながら、うれしそうに言いました。
「いいなー、木の香りって!」
「あら、そうなの。お母さんは慣れてしまったせいか、最近では特別感じなかったけど」
私は、病院の部屋を思い出していました。コンクリートに白いペンキが塗られた部屋を。
もし、壁の一部にでも木を用いたらどうだろうか?
病人の心に、やすらぎ、やさしさ、ぬくもりなどを与えるに違いない。
ところで日中はだいぶ暖かい日が多くなりましたが、今年はまだまだ朝晩の冷え込みが続いています。昨年は4月下旬なみという暖かい日が続き、子供たちにうながされて筍を掘りに行きました。
「いくらなんでもまだ出ていないでしょ」と、私は期待もせずに出かけましたが11本ほどの収穫がありました。翌朝は筍ごはんをたいて、娘の卒業式に出かけました。それほど昨年はいっきに暖かくなったのですね。ですから確かクレダのスィッチも早々に切っていました。
しかし今年は寒いですから、4台のクレダの内2台を今もつけています。そんなおり、同じくソーラーサーキットの家に暮らす年配の方がみえられて、「少し肌寒くはないですか」と聞かれました。
そこへ我が家の娘が階下におりてきました。娘の姿はTシャツ、短パン、素足でした。その方はその娘の夏すがたにすっかり驚かれていました。
さて今回は「激変の庶民生活史長津田のあゆみ」長津田を語る会著より「寒さ、暑さ、虫とのたたかい」です。
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農家の暖房といっても、第一はイロリで、ここに自在鍵をつるし、鍋や鉄瓶をかけて、焚火をするのが第一でした。ヘッツイを使って飯たきや、煮物などにはソダを燃すことが多かったのですが、ソダは売り物になったので、できるだけは落葉で間にあわせました。学校からかえったら、必ず一杯(かご)かけとか、日曜は半日くずはきとか、小学校の一、二年の頃からいいつけられたのだからたまらないわけです。
イロリのつぎがコタツでした。火鉢もつかいますが、どちらも木炭がもったいないというので、できるだけ、たきおとしや、消炭を使いました。何しろ、障子はやぶれ放題(正月をまえにいっぺんはりかえるだけだから)、戸、障子の間は関東大震災以来特にすきまだらけ、天井はすのこときているから、家中風がふきまわしている。そこで、できるだけコタツに首までつっこんでねているということになるわけです。ふとんはゴツゴツの綿で、しき布団は必ず一枚、上は二枚かければいい方です。ねまきにきかえるものは少なく、大人は、はだかでねるものも少なくありません。
夏は茅ぶきだけにわりと涼しい。ただこまるのは、カとノミです。カは夕方からワンワンと目の前に渦をまいている。ただ、うちわであおいで追い払い、ねる時になって、カヤをつるだけです。ただ始終くわれていると、免疫になるのか、あまりこたえません。ノミもだれにもいっぱいついていました。
それに昼間はハエがグワーンとうなって、食物のまわりや人の顔にあつまるし、畑にでればブヨの大群に襲われるのです。女の子は頭をシラミにやられます。戦争中はこれがふえて、洗っても、すいても、どうにもならず、ずいぶん困ったものです。これらの虫が終戦後、進駐軍のもってきたDDTでまったく一掃されました。あれだけは、どんなに助かったかわかりませんが、後になって、その毒がいつまでも残留するというので、また別の大心配が生まれました。
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以上「激変の庶民生活史長津田のあゆみ」長津田を語る会著より抜粋しました。
次回は「農家の新築」です。
こたつの歴史などを紐解いてみるとおもしろいですね。我が家も以前は使っていました。しかしこの家に暮らしてからは、こたつは不要になりました。
2003年3月19日
久保田 紀子 |