「ウワーッ、涼しい!」
今日は暑かったですね。
6月28日ほどではありませんでしたが、今日も湿気を含んだムワーッとした暑さに包まれました。
私は朝から用事で出かけていて、体感ハウスに戻った午後1時には、「いい家」をつくる会のメンバーであるKさんが娘さんを伴って到着したのとほとんど同時でした。
玄関ドアを開けて3人で中に入ったのですが、Kさんが
「ウワーッ、やはり涼しいですねー」と大きな声で言われました。
「エアコンは何台動いているのですか?」
家づくりの手伝いをしているという娘さんが質問しました。
「ええーっと・・・」
私が言いよどんだのは、二階のエアコンをつけて出かけたような気がしたからです。
三人は二階へと階段を上がりながら、
「涼しいですねー」と確認し合っていました。
「エアコンはついていませんね」
私はそうであることを真っ先に確認して言いました。
「いやいや、これは驚きです」
Kさんの言葉の響きに「信じ難い」というものを感じたので、私は
「完成したばかりの隣の家に行ってみましょう。あちらには小屋裏がありましてここ数日エアコンをつけていませんから」と誘ったのでした。
そして三人は隣にある事務所兼体感ハウスへ移動しました。
50歩ほどの距離ですが、外の暑さは格別でした。玄関ドアを開いたところ、今度は娘さんが、
「ウワーッ、涼しい!」と叫びました。
そして三人で、一挙に小屋裏へ上がったのです。
「ウワーッ、涼しい!」
今度は私が叫んでしまいました。
外は33度を記録していたのですが、小屋裏は28度。
三人は代わる代わる屋根の下地板に手を当てて、熱の透過がないことを確認しながら、子供のようにはしゃいでいました。
「マツミの家には、いつも錯覚させられる。玄関に入るとエアコンがついていると」
私はそうつぶやいているとKさんがこんなことを言いました。
「これは久保田さんの管理がお上手なのでしょうね」と。
「確かに、それはあると思います。太陽の熱を入れないようにしています。私の自宅ではそうはいきません。窓からの熱の侵入と生活の排熱、それから玄関の中に入れている犬二匹の体温などで、放っておけばここよりは3〜5度ぐらい高くなります。
そこで今日のような暑い日には、小屋裏と食堂のエアコンをつけたままにしてあります」
私は得意になって続けました。
「外気温が朝から27度を超えるような日は、上の階の1台を自動ではなく24度設定で終日働かせるといいですよ。そうしておけば、食事をするときなど、ほんのちょっと利用するだけで自分が好む快適さを得ることが簡単にできるのですから」
「24度ですか?」
「そうなのです。27度に設定したいところでしょうが、そうすると下の階とほとんど同じ温度ですから、冷気を効果的に利用できません。1台で相応の涼しさを期待するのであれば、24度設定がいいようです」
「なるほど。さっそく試してみましょう」
一通り体感が終わるとKさんは、子供のように目を輝かせて帰っていかれました。
さて、大正・昭和 激変の庶民生活史―長津田の歩みー(1978年6月10日発行 長津田を語る会)より抜粋は、今回で終わりとさせていただきます。
農家の新築
長津田の農家が活気づくようになったのは、青山街道が改修となって、宿の南側に移った土地代の収入、つづいて、東名高速道路造成には、長津田区間だけでも2140m、道幅34.3mの大道路が作られ、辻には5.9ヘクタールのインターチェンジがつくられたので、莫大な土地が買い上げられたこと、それにニュータウン、長津田団地、県営、東急、南長津田などの大団地の造成がつぎつぎになされたためです。
土地代を得た農家はまず、第一に、代替地を求めること、ほとんど100年近く経過している母家を新築すること、トラクターその他改良農具、運搬車の購入、それにつづいて、アパート、貸家などを作ること、などの計画をすすめました。
母家の新築はまず昭和30年、大林寺本堂のコンクリート建の完成あたりを皮きりとして、40年あたりをピークとし、50年にはもう、ほとんど全農家が、新しく生まれ変わりました。
屋根は、はじめトタンが多く、次第に瓦葺に変わり、一階から、ほとんど二階建になってきました。
戦争前の建物が50坪以上の大きなものから、12坪ぐらいの大小さまざまであったのにくらべて、大きさのちがいは少なくなって、ほとんど30坪以上のものになりました。
間取りは、土間はなく、内廊下になり、必ず応接間がつき、客間、台所・食堂・茶の間のほかに子供部屋など、使い道が単一化され、個人化されてきました。もちろん、内便所・内風呂で、作業室・物置だけを別棟とし、ブロックまたは石垣をめぐらして門をつけ、邸内は植え込みや庭石を置くといった豪勢なものです。
これらは作業室や物置をのぞけば、ニュータウンや長津田団地、長津田の丘陵地に新築された、他から移ってきた人の家とも、ほとんど変わりはありません。
暖房はもちろん、イロリも火鉢も姿を消して、石油ストーブ、ガスストーブが圧倒的です。オールヒーティングはまだごくわずかです。それに茶の間はほとんど電気コタツを利用しています。(以上)
2000年前後に、私が住んでいる一帯の区画整理が完了し、地主さんたちが競うように新築をしました。おもしろいことに、みんながそれぞれに造り手を変えるので、辺りはまるで住宅展示場のような光景が展開されています。
一般に公募された分譲の区画には、現在も様々な家が建築されています。その中で、外断熱の家は、私の自宅から歩いて5分の範囲に5軒も建っています。