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エッセイ

なぜ同居をしないのか?

「お子さんが4人もいて、どうして同居されないのですか?」

妻に先立たれて1年も過ぎると、ご近所の中には心配して尋ねる人がいる。まるで、それが当然だと言わんばかりのように。

そんなとき私は、精一杯の笑顔を作りながら心の中でつぶやく。

「同居とは、我慢の形態である。打算の形態でもあるという人がいますよ。私は、独り暮らしを楽しんでいるので、どうぞご心配なく」と。


強がってみせると、心の中には嫌な波が立つものだ。

気分を整理したくてコーヒーを飲みながら、愛猫を相手に勉強会を始めてみた。


家を建てるときに予算の問題を除くと何が大事だと考えますか?

私は想像力だと思います。

10年後・20年後・30年後を思い描く力です。間取りやデザインなどの設計力ではなく、暮らしを想像する力です。

「人生100年時代」では、80歳から第二の人生が始まると言われています。

しかし80歳になると、否応なしに体力・気力が衰えて、リフォームはおろか、窓やふろの掃除さえ億劫になります。

それまでは、若さで乗り越えていた寒さや暑さ、臭いや湿気が気になるようにもなります。しかし、我慢するしかありません。それらの我慢がストレスとなって、心身の老化を速めるのは確かです。


ならば、子供と同居すればと考えますよね。

子供たちと一つ屋根の下で暮らせるなら、孫の成長を楽しみ、時には励まし、若い世代と持ちつ持たれつのハッピーな老後を思い描くことでしょう。

ハウスメーカーのカタログには、二世帯同居は理想の暮らしのように扱われています。「我慢」や「打算」の影はどこにも見当りません。


私は65歳の時、15年先に始まる80代の暮らしを想像できませんでした。しかし、80歳になると、不思議なほどはっきりとこれからの15年をイメージすることが出来るようになりました。

人間いつかは寝たきりになる、その前段階で、認知症・フレイル・うつ・がんのいずれかになるか、骨折などの事故などに遭遇するかもしれません。

だからといって、子供たちと同居したところで、それらのリスクが減るとは思えません。子供からすれば、男親というものは80歳を過ぎると存在しているだけでもプレッシャーになるというのに、同居して、甘え、期待し、頼られたのでは、たまったものではないでしょう。もしリスクが早くに現実化してしまったら、子供たちの人生にとって大きな負担となるのは間違いありません。


ではどうすればよいのか。


「涼温な家」に住んで、元気なうちに誰に気兼ねすることなく思う存分、「住む」を楽しむことです。この楽しみほど安上がりで、あなたを元気づけてくれるものは他にないのですから。

「あゝ、人生の黄金期に巡り会えたのだ!」

あなたは、きっと、独り暮らしを与えてくれた連れ合いに感謝したくなるでしょう。


振り向いた愛猫の目が語っていた。

「僕と二人であることを忘れないでね」

「そうだよね」

私は思わず微笑んで答えていた。