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エッセイ

第二の人生の始まり

妻の遺品すべてを処分してみて、日々、独り暮らしであることを実感させられる暮らしが始まった。

私は「『いい家』が欲しい。」の著者として恥ずかしくない、見本となるような暮らしをしなければと意気込んだ。2022年7月26日に発行した「改訂版Ⅳの2刷」に「83歳、これからの生き方10箇条」を追加し、人生100年時代に生きる宣言としたからには、頑張らなければと自らを奮い立たせた。


ところが、12月11日の深夜に状況が一変した。

コロナに罹ったのだ。

前日の土曜日の夜中に発熱した。体温計で39度という数字を見たときに「あぁぁ、もうダメだ」と覚悟した。数日前に近所に救急車がやってきて3時間近くも動かないことがあった。理由を聞くと、受け入れ先の病院が見つからないとのこと。

私の場合は、ましてや真夜中だ。不安ばかりが募る。

念のため、壁に貼った東京都発熱センターに電話したが、何回コールしても繋がらなかった。仮に繋がったとしても「在宅医療」を指示されるに違いないという予想は消し難かった。

翌朝、3男の嫁の手配で、昼過ぎに往診を受け、薬ももらうことが出来た。その薬を飲んで、ベッドにもぐりこみ、布団を重ねて気絶したように眠った。

幸い、1週間ほどで回復し、後遺症もなかった。


しかし私は、大きなショックを受けていた。コロナウイルスと入れ替わりに、弱気の虫に取りつかれたのだ。

この先、一人暮らしをやっていけるのだろうかという不安に襲われたのだ。自分は、老人ホームか施設に行けばいい。だが、愛猫はどうする。

「この子を看取ってやってください」

妻との約束はどうなるのか。コロナの最中、食事とトイレの掃除は毎日やっていたが、もし肺炎を併発し緊急入院となっていたら?

万が一、私が死んでしまったら?

この子の面倒は誰が見ることになったのだろうか。


妻の写真は、この子を抱っこして微笑んでいる。

「なあ,ナッコ。どうしたらいいのかな?」

私の問いかけに、微笑んだまま何も答えてはくれない。

心配は日ごとに大きくなった。

信頼できる確かな人に早くから預けるべきではないか?

こうして元気なうちに、自分が納得できる人を探すべきではないのか。

私はいたたまれずに、動物病院で娘さんが看護師として働いているという知人に相談した。

すると、三日ほどして「3年前に愛猫が死んでしまい、寂しくてならない」という人を紹介してくれた。


1週間、相性を確かめるためにということで、愛猫は強引にキャリーバックに押し込められた。

そのときの彼の「行きたくない!」と訴える必死な目が、その夜から私を責め続けることになった。

「なんてかわいそうなことをしてしまったのか!」

自分勝手な思いやりが、彼に与えた残酷さを思い眠れなかった。

その辛さは、妻の遺品を処分したときには味わったことがないものだった。妻の介護をしていた時よりもはるかに私は憔悴し、自己嫌悪に陥った。


そして1週間後、連れ戻った彼は、私と目を合わせてくれなかった。

水も飲まず、食事もほんのちょっと食べるだけで、抱っこをすると顔を背ける。信頼関係はすっかり崩壊してしまったようだった。

しかし、10日もしない内に「涼温な家」の暖かさと空気の気持ち良さが元の環境を思い出させたのか、彼の凍てついた心を溶かしてくれた。スリスリをしてくれるようになったのだ。

私は、ほっとして思った。

ようやく第二の人生の幕が開けた、と。

不安は捨てて、「大丈夫、何とかなるさ!」と決め込んで一人暮らしを大いに楽しもう!

買い物、料理、片付け、掃除、洗濯、花の手入れなど、とにかく楽しもう。運転免許証は返納してしまったけれど、週に一度は都内に出かけよう。

まずは、遺品となって子供たちから喜ばれないと思われる物はすべて処分。

それを第二の人生の初年度の目標にすることにした。

すり寄ってきた愛猫に、「大丈夫だよ。もう二度と君を手放さないよ」と固く誓った。