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エッセイ

歳を取るのも悪くない

スタイリッシュで、運転していてワクワクする車を追い求め、ドライブを楽しんできた者が、83歳9か月にして、最高速度6キロに限定された車椅子モドキを手に入れることとなった。

免許の更新はしないというのが、妻との約束だった。


徒歩5分でコンビニに行けるし、もう3分歩けばスーパーもある。だが帰りは、荷物を持って歩くことを辛く感じる。

自転車は怖い。手押し車は使いたくない。電動キックボードもダメ。と、いろいろと悩んでいるときに、スズキの「セニアカー」を知った。

どんなものかと思いながら、パンフレットを取り寄せ、「運転免許を返納したら、次の乗りもの」というキャッチコピーに惹かれた。

車の魅力は、そう簡単に諦められない。車好きの返納者の心理に刺さるコピーだ。

「そう、私は次の乗りものが欲しいんだよな」


早速、試乗することになった。軽のワンボックスに載せられてやってきたセニアカーを見た瞬間に、

「まあ、こんなものだろうなー」とつぶやく。

営業さんが一緒について行くからと試乗を勧められた。座席に座った。ちょっと触ると音声案内がけたたましい。

走り出してすぐに

「なに、この遅さ?!」と思わず言ってしまった。

「今3キロですから、ダイヤルを右に回してみてください」

「これが最高速度?!」

「はい、若い人の急ぎ足ぐらいのスピードです」

「それにしても遅いなー、ちょっとあなたが代わって最高スピードで走ってみて」

営業マンが乗ったセニアカーの脇を歩いて驚いた。とてもついて行けない。

「オイオイ、もっとゆっくり走ってよ。結構早いんだね」

「はい。若者の速足ぐらいのスピードですから」

くるりとUターンした営業マンは快心の笑みで言った。

「そうか、車の感覚でいるからだね。キャッチコピーを『シニアが楽しむゴーカート』にした方がいいと思うな。子供の頃、遊園地で乗るのが楽しみだった」

こんな会話を交わして、30分後には購入申込書にサインをした。


それから数日して、11歳の子が運転するゴーカートが操作ミスで暴走し、観客席の子供を跳ねたというニュースを知った。

なんと、そのゴーカートは40キロ近くのスピードが出るという。

83歳を過ぎると、運転能力は十分備えていると自負していても、免許を返納してしまうと最高速度6キロの乗り物にしか乗れなくなる。


そんな不満を愚痴っていたら、なんと102歳のおばあちゃんがセニアカーに乗って買い物に行っているのをテレビで見た。

「102歳、一人暮らし。」(文芸春秋)という本も出版されているではないか。

早速取り寄せて読んでみた。


「84歳のあなたは何を愚痴っているの!

私の家は、一時代前に建てたものだから、隙間だらけ。冬は寒いし、夏は暑いし、ネズミもいるよ。でもね、私はあなたが言う『住むを楽しむ』ではなく、『どうすりゃあ毎日自分を楽しませながら上手に生きていけるか、それしかない』と思って暮らして来ましたよ」

哲代おばあちゃんの声が聞こえてくるようで、それからは感謝して乗るようになった。

6キロのスピードだから味わえる風の気持ち良さ、鳥のさえずり、家々が競い合うように飾っている花々の美しさなどは、車では気が付けなかったものばかり。

思わず、「歳をとるのも悪くないなぁ」と笑みがこぼれる。