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海外視察旅行記
世界に誇れる、
住み心地いちばんの家を目指して

2015年9月
スペインイギリス
バルセロナ・マドリッド・ロンドン編

ヨーロッパ建築を訪ねて(スペイン・イギリス)

断熱の方法 「度胸のある会社」

断熱の方法 「度胸のある会社」 1
断熱の方法 「度胸のある会社」 2

(右手前の白い部分は階段。真ん中はコンクリートの壁)

 

留守中に、3現場で上棟が行われた。

外国にいても、現場の様子はツイッターで見ることができる。

横浜市旭区のI邸は、写真のように上棟して3日後には、屋根に二層目の断熱材が張られていた。

これなら、猛暑日が続くようなときにも通気層と相乗効果を発揮して、小屋裏にはほとんど熱を伝えない。外断熱(外張り)が、一番効果を発揮するのは屋根だ。


その日は、マドリッドの中心街を少し離れたところで、興味を惹かれるデザインのビルを見かけタクシーを止めた。小高い丘の上に建つビルを道路から見上げると、まるで空中に浮いているように見える。しばらくして気づいたのだが、なんと、ガラスのカーテンウォールを透かして、吹き抜けになっている左側1階部分の天井に、50ミリ程度の厚さの綿状断熱材が並べられているのが見て取れた。


その光景は、今から40年前の日本の住宅の天井とほとんど変わらない。

直線が構成する端正な姿に詰めこまれた綿状断熱材は、まるでよれよれの下着のようで、まことに不釣合いだった。

大陸性気候で湿度が少ないところだから日陰にいれば涼しい。とはいえ太陽光は強烈で、平らな屋根が蓄熱する放射熱を防ぐには、なんとも頼りない断熱方法だ。


珍しく片言英語が通用する中年の運転手さんが、「あのビルの中は暑いと評判だよ」と教えてくれた。「ディセーニョ ベリーグッド」と、大声で付け加えて。

ホテルに帰って、「ディセーニョ」を調べると「デザイン」のことのようだ。

つまり、「デザインはすばらしい」と付け足したのだ。


それから彼は、ぜひ見せたいビルがあると、29日に紹介した「斜めのビル」に案内してくれた。

車に戻るとこんな解説をした。

「あのビルに最初に入った『バレンティーア』な会社は倒産した。働いていると、ストレスで具合が悪くなる人もいるようだ。我々タクシードライバーにとっては、観光客が増えてありがたいビルだよ」


『バレンティーアな会社』を「バレンシアの会社」と聞き違えていた。ホテルで字引を引いて吹き出してしまった。

「度胸のある」会社と、運転手さんは言ったのだ。

だが、建築家の名前は両方とも知らなかった。もし、私が建築家の名前を知っていたら、違った印象になっていたかもしれない。

空の旅で感じたこと(久保田紀子)

空の旅で感じたこと(久保田紀子)

(ブリティッシュ・エアウェイズのネットから)

今回の旅発ちは急だったので、やむを得ず成田発も含めて検討した。するとブリティッシュ・エアウェイズのビジネスクラスが簡単にゲットできた。

ところが、搭乗してシートの並び方を見てショックを受けた。

松井さんの表情もひどく戸惑っていた。


座席が、横並びに配置されているのではなく、ボックス型の席が互い違いに配置されていたからだ。飛行機の飛行方向に背中を向ける席がいくつもある。

互い違いの状態で着席すると、相対する人とは顔がものすごく近い。これは参ったなというのが最初の感想だった。しかし、そこは工夫されていて、間に半透明の衝立がボタンを押せば立ち上がるようになっていたのだか、新幹線ならともかく、飛行機の座席が飛行方向と反対なのは、すごいストレスになるのではなかろうか。

運悪く、松井さんの席がそうだった。私は、代わることを申し出た。

すると松井さんは笑いながら答えた。

「大丈夫です。この座席のアイディアは、飛行機会社が十分実験しての結果でしょう。いい体験になりますよ」と。

でも私は、強引に代わってもらった。血圧に影響すると思ったからだ。定刻どおり、機体はエンジンの回転を上げると滑走路を滑り出した。

窓から景色が見えている間は、あたかも車が猛烈な勢いでバックしているような錯覚がして一瞬軽い眩暈に襲われた。

しかし、景色が見えなくなってしまうと錯覚もすっかり消えて、水平飛行になると衝立が自動で立ち上がり、対面しているストレスも方向の違和感もなくなった。


ところが、すぐに思わぬ問題が起こった。

突然、ガラガラと衝立が下がり、顔立ちがしっかりした女性のキャビンアテンダントさんが、「ティー オア カフィー?」と問いかけてきたのだ。50センチも離れていないところには向かい合って座っている中年の外人男性の顔がある。

それからは食事が終わるまで、ガラガラが何度となく行われた。開けっ放しにしておいてもいいのだが、見知らぬ外人さんとの体面を我慢し続けなければならない。


キャビンアテンダントさんも大変だ。配膳をするには通路側の客の上に覆いかぶさるようにして、その狭い空間越しに行うことになる。もし受け取り損なったらと想像すると、胃が縮こまる思いがして緊張した。

配置のもう一つの問題は、席を立つには通路側の人が伸ばしている両足をまたがなければならない。足置きを倒して寝ている場合は、通路がふさがれてしまうからである。けつまずいてしまうことを想像すると、これまた緊張を強いられる。

エコノミー症候群を恐れる松井さんは、運動をするためによく席を立つ。最初は戸惑っていたが、その内、すっかり慣れたようでむしろそうした緊張を楽しんでいるかのように見えた。


それよりも問題は、エアコンの利き過ぎだった。

体の節々が痛みを感じるほどの冷え方だった。空席に置かれていた掛物ももらって2枚重ねしてなんとかしのいだ。


搭乗時間も残すところ2時間を切ったころ、ますます寒くて手足の先端が痛くて仕方なくなり、これでは到着前に風邪をひいてしまいそうだと心配になった。

もう二度と、この飛行機には乗るまいと思っていると、松井さんが「ここを読んでみて」と読みかけの本を差し出した。

デイヴィッド・ロックフェラーが書いた「ロックフェラー回顧録」(新潮社)である。

「チェース(チェース・マンハッタン銀行)で過ごした35年間に、わたくしは103か国を訪問した。それには、フランス旅行が41回、イギリスが37回、西ドイツが24回、日本が15回、エジプトとブラジルが14回ずつ、サハラ砂漠以南アフリカ諸国の大旅行3回がふくまれる。本国では、わたくしは顧客を訪ねて、54州中42州をまわった。わたくしは500万航空マイル(世界一周旅行200回分に相当する)を貯め、およそ1万回のビジネス・ランチを取り・・・」。


そのとき、衝立が下がり、注文していた野菜カレーが差し出された。

適度な辛さと旨み、そして香辛料の香りが体を温め、寒さと疲れを忘れさせてくれた。

すると、ロックフェラーという人の行動力と忍耐力が、とてつもなく大きいものであったことの一端が分かったような気がした。

そして、座席の配置の不都合さ、寒さに対する不満が和らぐとともに、ヒースロー空港でのバルセロナへの乗り継ぎが楽しみにさえ思えるようになった。